はじめに

タイで長年の論点であった「ノミニー(名義借り)」の問題は、2026年に入り、制度と執行の両面で明確な転換点を迎えました。タイ商務省事業開発局(DBD)による審査の厳格化、業種を絞った立ち入り調査、そして外国人事業法(FBA)本体の改正着手です。
本稿は、タイに現地法人・合弁会社を持つ、あるいは進出・撤退を検討している日本企業——本社の経営企画・海外事業・法務コンプライアンス部門、およびタイ現地法人の経営層——に向けて、外資規制とノミニー問題の基本構造、2026年の規制動向、そして取りうる選択肢を、クロスボーダーM&Aの実務視点から整理するものです。
ノミニー問題とは — 外国人事業法の基本構造
タイの外国人事業法(1999年制定)は、外国人(外国資本が過半を占める法人を含む)による参入を禁止・規制する業種を3つの表に分けて定めています。サービス業や卸・小売を含む幅広い業種が規制対象となる一方、製造業は原則として規制対象外であり、投資委員会(BOI)の投資奨励や外国人事業許可(FBL)等により外資マジョリティが認められるルートも存在します。
こうした規制環境の下で長年利用されてきたのが、実質的な経営・意思決定は外国側が担いながら、株主構成のみタイ側過半とする形態——タイ人が名義上の株主となる、いわゆるノミニー構造です。これは外国人事業法が明確に禁止する行為であり、名義を借りた外国人側・名義を貸したタイ人側の双方に刑事罰が科され得るものですが、実務上の摘発が限定的な時期が長く続いてきたのも事実です。
2026年、何が変わったのか(2026年8月最新動向)
この状況が変わりつつあります。主な動きを時系列で整理します。
(1)出資原資の確認(2026年1月〜) DBDの新たな命令により、外国人出資が50%未満の会社の設立等に際して、タイ側株主に過去3か月分の銀行取引履歴の提出が求められるようになりました。確認されるのは残高ではなく、出資に至る資金の流れ・原資そのものです。外国人株主がいなくても、外国人が署名権を持つ取締役として関与する場合も対象となります。
(2)登記審査の対象拡大(2026年4月・8月) 2026年4月には、外国人を代表権限者等に変更する場合の審査基準が整備されました。さらに8月1日からは、会社設立時だけでなく、設立後に株主・取締役・署名権者を変更する場合も審査の対象となりました。設立時の審査を通過した後に構成を変更する、という従来の抜け道が塞がれた形です。
(3)摘発の実例 執行面でも、2026年上半期には観光関連業種を対象とした立ち入り調査が複数県で実施され、ノミニーの疑いがある企業が多数確認されたほか、一部は事業免許の取消しに至っています。捜査当局とDBDの合同による一斉捜索も報じられており、調査対象は特定業種にとどまらない広がりを見せています。
(4)外国人事業法本体の改正着手 タイ商務省は、外国人事業法の制定以来最大規模となる包括的な見直しに着手しています。改正の主眼は、ノミニー構造の解体、循環出資等の抜け穴の閉鎖、罰則の強化にあるとされています。
なお、DBDの調査によれば、タイの法人約78万社のうち、外国人持株比率が50%未満で「タイ企業」として登録されている会社は約11.8万社にのぼり、当局はその相当部分にノミニー形態が存在すると推定していると報じられています。当局が問題の規模を定量的に把握したうえで、制度改正と執行強化を一体で進めている点が重要です。
「当時は問題ない」とされたスキームと、変わった前提
コンプライアンス体制の整った大手・中堅企業であっても、タイ拠点の株主構成を遡ると、進出当時に金融機関や進出支援コンサルタント等の勧めに沿って組成したスキームに行き着くケースは少なくありません。当時の実務では、「法令上は外国人事業法に抵触し得るが、運用上、摘発される例はほとんどない」という説明のもと、タイ側名義を活用した構成が広く採られてきました。
重要なのは、変わったのが法令ではなく、運用の前提だという点です。出資原資の確認、登記変更時の審査、業種を横断する調査の展開により、「運用上は問題にならない」という当時の前提は2026年に崩れました。当時の判断の当否を今から問うことに意味はありません。問うべきは、現在の審査基準——タイ側株主の出資原資、経営関与の実態、議決権と経済的利益の配分——に照らして、自社の構成を説明できるか、です。実務上、点検すべき論点は次の3つに整理できます。
第一に、合弁パートナーの実態です。 タイ側過半の合弁として運営してきた会社について、パートナーの出資原資や経営関与の実態を、本社として把握・文書化できているか。登記変更のたびに審査対象となる以上、増資・役員交代・事業再編といった通常の企業行動の場面で、この点が顕在化します。
第二に、M&Aの場面です。 タイ企業や在タイ事業の買収を検討する際、対象会社の株主構成の実態はデューデリジェンスの必須項目となりました。過去の買収で取得した現地法人に旧来の構造が残存している場合もあります。逆に、タイ子会社・タイ事業の売却を検討する際には、買い手側から同じ精査を受けることになり、構成に疑義があれば取引の成立・価格・表明保証の設計に直結します。
第三に、グループガバナンスの観点です。 上場企業・大手グループにとって、海外子会社の法令遵守はグループ内部統制・開示の問題であり、有事の際の影響は当該現地法人にとどまりません。規制強化が既定路線となった以上、「指摘を受けてから対応する」のではなく、平時に点検し、必要な手当てを済ませておくことが合理的です。
取りうる選択肢は、大きく4つ
点検の結果、手当てが必要と判断された場合、あるいは今後の進出・再編を検討する場合、選択肢は概ね次の4つに整理できます。
- 資本構成の是正(真正な出資への入替え) — 名義性が疑われる株主を、実際に出資能力を持ち経営に関与するタイ側株主(地場事業会社・投資家等)に入れ替える。持分の実売却を伴うため、価額の算定、譲渡契約、株主間契約の設計が必要になります。
- 真正な合弁(JV)への転換・合弁の見直し — 事業シナジーのあるタイ側パートナーを迎え、あるいは既存合弁の建付けを見直し、適法な範囲での種類株・取締役指名権等の設計により、日本側の経済的利益と経営関与を確保する。
- 撤退——タイ子会社株式・事業の譲渡(Exit) — 是正に要するコスト、事業の戦略的位置づけ、事業環境を総合的に踏まえ、事業ポートフォリオ見直しの一環としてタイ事業の譲渡を選択する。買い手候補はタイ地場企業のほか、規制対象外業種やBOIルートで保有可能な第三国の戦略投資家も含まれます。
- 適法ストラクチャーへの移行 — BOI投資奨励、外国人事業許可(FBL)の取得、規制対象外事業への事業内容の整理等により、名義に依拠しない体制へ移行する。
いずれの選択肢も、法的な整理だけでは完結しない点に留意が必要です。1と2では「実際に出資でき、信頼に足るタイ側の相手」を見つけ、条件を交渉すること、3では「適正な価格で承継する買い手」を見つけ、取引を成立させることが、実行上の最大のボトルネックになります。ここは法務の領分と重なりつつも、本質的にはM&A実務——相手先の探索、価値評価、交渉、契約、クロージング——の領分です。
当社の対応力
Syntax Partnersは、日本・アジアのクロスボーダーM&Aを専門とする独立系のアドバイザリーファームです。ご依頼主お一方の利益を最大化するFA(ファイナンシャルアドバイザー)としての立場で、本稿で述べたような局面のご支援が可能です。
- 外資規制・株主構成の論点を含む案件への対応経験 — M&Aアドバイザリーの過程では、本稿のような外資規制や株主構成の整理を伴う事例への対応ケースもあり、取引の設計段階からこうした論点を織り込んだ助言を行っています。日本企業の海外撤退案件、タイ子会社株式の譲渡案件の実績も含みます。
- 売る側・買う側双方での支援実績 — 売却側(セルサイド)、買収・出資側(バイサイド)の双方でのアドバイザリー実績があり、交渉の相手方がどう考え、何を精査するかを踏まえたご支援が可能です。
- 取引相手の幅広さ — お取引の相手方としては、タイをはじめとする大手財閥系企業から中堅・中小企業まで、規模・属性を問わず幅広い経験を有しています。
- 一気通貫の実行支援と現地専門家との連携力 — パートナー・買い手候補の探索から、条件交渉、契約、クロージングまで一気通貫で対応します。タイ現地の弁護士をはじめとする専門家との連携体制を有しており、法規制面の検証と取引の実行を一体でお手伝いします。日本語・英語・タイ語での対応が可能です。
おわりに
タイのノミニー問題は、「これまで大丈夫だったから今後も大丈夫」という前提が通用しなくなりつつある局面にあります。一方で、選択肢は残されており、早く動くほど打ち手の幅は広がります。まずは自社グループのタイ拠点の資本構成の点検から、そして必要に応じて資本再編・合弁見直し・譲渡のご検討まで、初期的なご相談からで結構です。当社ウェブサイトのお問い合わせフォームよりご連絡ください。
※本稿は一般的な情報提供を目的とするものであり、法的助言を構成するものではありません。個別の案件については、タイ法弁護士等の専門家への確認が必要です。