
はじめに
米中関係の不確実性と通商政策の変動を受け、サプライチェーンの地理的分散(チャイナプラスワン)は日本の製造業にとって既定路線となりました。その受け皿として最も存在感を高めてきたのがベトナムです。一方で、2025年には米国とベトナムの関税合意という新たな変数が加わり、電力・労働・賃金といった供給側の制約も明確になってきています。
本稿では、まず通商環境と供給制約に関する事実を出典とともに整理し、次にベトナムに拠点を構えた日本の製造業4社(パナソニック、シャープ、住友電装、福原精機製作所)の動きを確認します。そのうえで、ベトナム進出を検討・再検討する企業が押さえるべき論点を、当社の見立てとして述べます。
1|事実の整理① ― 通商環境と供給側の制約
米国輸入における位置づけ:米国の貿易統計によれば、米国の輸入に占める中国のシェアは2017年の約21.6%から2023年には13.9%へ低下し、2003年以来維持してきた最大の輸入相手国の座も2023年にメキシコへ譲りました(JETROの分析による)。その受け皿の一つとしてベトナムからの輸入比率が上昇しており、特に電機分野で中国代替の存在感が強まっています。EUとのFTA(EVFTA)やCPTPPの発効・運用も、欧州・環太平洋向けの関税面での優位として輸出拡大に寄与しています。
2025年の米越関税合意:2025年7月2日、米越首脳の電話会談を経て両国は貿易枠組みに合意しました。トランプ大統領の発表によれば、ベトナムからの対米輸出品には20%、第三国からの積み替え品には40%の関税が課される一方、米国製品はベトナム市場で無関税となります。当初示されていた46%の相互関税からは大幅に引き下げられた形です。合意直後にJETROがベトナム進出日系企業に行ったヒアリングでは、20%であれば影響は比較的限定的とする見方が多かった一方、「積み替え品」の定義次第では、中国製部材を組み込んだ製品がどう扱われるか不透明だとして、詳細の公表を求める声が多く聞かれました。中国を経由するサプライチェーンを持つ企業にとって、この定義と運用は引き続き最重要のモニタリング事項です。
供給側の制約:2023年には北部で電力不足による稼働への影響が生じたことが報じられるなど、電力供給の不安定さは構造的な課題です。JETROの日系企業実態調査でも、行政手続きの煩雑さは投資環境上のリスクとして継続的に挙げられており、賃金は一貫した上昇トレンドにあり、同調査では昇給率が近年5%台で推移しています。
2|事実の整理② ― 日本の製造業4社の動き
パナソニック:ビンズオン省に室内空気質(IAQ)関連の新工場を建設し、2021年から天井扇・換気扇の量産を開始しました。公表された投資額は約4,500万米ドルで、2025年度に年間300万台の生産体制を掲げ、研究開発機能の併設も進めています。また、配線器具・ブレーカーなど電材の増産に向け、2024年に既存工場の新棟を本格稼働させました。
シャープ:2020年4月にSharp Manufacturing Vietnamを設立しました。現地社長はインタビューで、進出理由として中国の人件費上昇に加え、米中貿易摩擦を受けて中国一拠点での生産をリスクと考える顧客が多かったことを挙げています。中国から移管したのは主に車載用液晶モジュールで、白物家電・電子部品を含む複合工場として輸出加工企業(EPE)の認定を受け、輸出志向を明確にしています。ラインは増設余地を残した段階的な投資設計が報じられています。
住友電装/住友電工:住友電装はSumidenso Vietnamを通じてワイヤーハーネスの製造・加工・販売を展開し、住友電工グループはハノイに家電・車両向けハーネスの生産機能を持ち、コネクタの現地生産強化も進めています。部品レイヤーの現地化が段階的に深まっている事例です。
福原精機製作所:神戸に本社を置く丸編機メーカーの福原精機製作所は、ロンアン省のレンタル工場にPrecision Fukuhara Vietnamを設け、2022年11月から本格操業しています。製品の供給に加え、現地からのアフターサービスや技術指導を提供体制に組み込んでいる点が特徴です。
3|この事実から何を読み取るか(当社の見立て)
以上は事実の列挙です。ここからは、ベトナム進出を検討する企業への含意を、当社の見立てとして4点述べます。
(1)「人件費の安さ」を収益モデルの柱に据える設計は持続しない
昇給率5%台という水準は、10年で賃金がおよそ1.6倍になる速度です。進出時点の人件費差だけを前提にした事業計画は、数年で前提が崩れます。立地の評価は人件費単価ではなく、為替、関税、物流リードタイム、品質不良への対応コストまで含めた総コストで行うべきであり、シャープの事例のように、顧客側の供給分散ニーズという「売上側の理由」も評価に含めるのが実態に即しています。
(2)「国を選ぶ」のではなく「どの工程を置くか」を選ぶ
4社の事例に共通するのは、全機能の移転ではなく、特定の工程・製品を選んでベトナムに配置している点です。シャープは車載用液晶モジュールを移管の中心に据え、住友電装は部品レイヤーの現地化を段階的に進め、パナソニックは生産に研究開発機能を近接させています。ベトナム進出の設計とは国の選択ではなく工程配置の選択である、というのが当社の整理です。
(3)現地化の「深さ」が付加価値を守る
賃金上昇の中で利益を維持している事例には、単なる生産移転を超えた現地化が見られます。パナソニックの研究開発併設は開発から量産への移行を速め、福原精機は機械の販売にアフターサービス・技術指導という現地でしか提供できない価値を重ねています。人件費の優位が薄れていく分を、開発スピード、供給の近接性、サービスといった別の価値で埋める構造を最初から織り込むことが、進出設計の要点だと当社は考えています。
(4)ベトナム単体で完結させない
2025年の米越合意における積み替え品への40%関税は、中国からの迂回輸出という単線的なモデルがもはや成立しないことを制度として明示したものです。中国は内需向け、ベトナムは輸出向けといった役割分担を基本に、品目や仕向地によってタイ、マレーシア、インド等の拠点を組み合わせる複数拠点の構えが、通商変動と電力等のインフラリスクの双方に対するバッファになります。ただし拠点の数は管理コストと表裏であり、自社の管理能力を超えた分散はかえって品質・統制のリスクを生みます。
4|押さえるべき時間軸
シャープの現地社長はインタビューで、2020年の設立から実質的な稼働まで新型コロナの影響で1年以上を要したと述べています。用地・許認可・立ち上げ・歩留まり安定までを考えれば、グリーンフィールドでの進出が収益に寄与し始めるまでには相応の年数がかかります。一方で、既存工程の移管による稼働のように、比較的短期で効果を確認できるものもあります。要点は、単一の年限で進出の成否を判断することではなく、短期(移管した工程の稼働・既存顧客への供給)、中期・5〜7年(工程の現地最適化と収益化)、長期・10年程度(供給網の内製化や現地開発機能の定着)と、時間軸ごとに検証すべき効果を分けて設計することです。そのうえで、賃金上昇・通商変動を織り込んだ複数シナリオと、撤退・縮小・再配置の判断基準を事前に用意しておくことを推奨します。
5|M&A・提携という選択肢
この時間軸を短縮する手段が、現地企業のM&Aや資本提携です。稼働中の工場・許認可・人材・顧客基盤を引き継ぐことで、グリーンフィールドで数年を要する立ち上げ期間を大きく圧縮できます。特に、進出の目的が生産能力の確保だけでなく、現地顧客や販路、部材サプライヤーへのアクセスにある場合、買収・出資はそれ自体が目的に直結します。一方で、対象会社の品質水準・労務・コンプライアンスの実態はデューディリジェンスで丁寧に見極める必要があり、外資規制や土地使用権などベトナム特有の法制面の確認も欠かせません。
6|当社のご支援について
Syntax Partnersは、クロスボーダーM&Aおよび合弁(JV)・資本提携を通じた海外進出について、ご依頼主お一方の利益を最大化するFA(ファイナンシャルアドバイザー)として、現地パートナー・買収候補の探索から交渉、クロージング、その後の体制構築までを一気通貫でご支援しています。対象地域はベトナムをはじめとするASEAN各国を軸に、インド、東アジア、欧米まで対応しており、進出だけでなく、既存拠点の再編や持分の譲渡・撤退のご支援も対象としています。
ベトナム進出やサプライチェーンの再設計について、通商・規制・資本構成・パートナー選定の観点から個別のご相談を希望される場合は、お問い合わせフォームよりご連絡ください。
参考出典(リンクなし)
- 福原精機製作所 公式発表(Precision Fukuhara Vietnam、2022年11月操業)
- JETRO「ベトナムと米国が貿易協定に合意」(2025年7月3日)/「ベトナムと米国の関税合意、日系企業は『積み替え品』詳細など動向を注視」(2025年7月・進出日系企業ヒアリング)
- 外務省「米国の関税措置に関する主要国の動向」(2025年7月8日)
- 米国商務省・USITCの貿易統計およびJETRO地域・分析レポート「米中関係から見る貿易構造の変化」(2024年9月。米国輸入に占める中国シェアの推移等)
- ベトナム北部の電力不足に関するJETROビジネス短信・各種報道(2023年)
- JETRO「2024年度 海外進出日系企業実態調査」(賃金・昇給率・事業環境)
- パナソニック公式発表・物流業界報道(ベトナムIAQ新工場・電材新棟。2021年9月/2024年1月)
- Sharp Manufacturing Vietnam社長インタビュー(ACCESS Online、2023年7月)
- 住友電装・住友電工 各社公式サイト(ベトナム拠点情報)