
はじめに
石川県金沢市に本社を置く株式会社ハチバンの「8番らーめん」は、1992年にバンコクで海外1号店を開いて以来、タイで174店舗(2026年4月10日現在・同社公表)を展開しています。タイの店舗数は日本国内を上回り、現地では「ラーメンといえば8番」と呼ばれ、タイ発祥のチェーンだと思っているタイ人もいるほど、日常の食として定着しています。北陸の地方チェーンが、なぜ海外でここまでの事業を築けたのか。
本稿では、公表情報をもとに8番らーめんのタイ進出の事実関係を整理したうえで、そこから読み取れる示唆を当社の見立てとして述べます。あわせて、タイ進出を検討する際に必ず論点となる外資規制(外国人事業法)と参入スキームの考え方を整理します。
1|事実関係の整理 ― タイ進出の年表
まず、同社の公表資料および報道・インタビュー記事・ケース研究から確認できる事実を列挙します。
- 1992年4月:バンコクのシーロムコンプレックス内に海外1号店を開設。以後の出店もショッピングモール内が中心。
- 1997年:スープエキス・調味料の製造会社としてダブル・フラワリング・カメリア(DFC)社をタイに設立。海外店舗向けに加え、日本の8番らーめん向けスープエキスも同社が製造。
- 2005年:ハチバントレーディング(タイランド)社を設立し、DFC製品を中心とする加工食材の輸出入を担当。
- 2006年:200店舗分の食材供給能力を持つセントラルキッチンを竣工。
- 2013年1月:タイ100店舗目をチェンライに開設。
- 2019年3月:タイ国内店舗への配送機能を担うディストリビューションセンターが稼働。
- 2023年:タイに第2工場が稼働。報道によれば、同社はタイ250店体制を目標として掲げています。
- 2026年4月10日現在:タイ174店舗(同社公表)。出店はバンコクにとどまらず、2024年の報道時点で50県以上に及びます。
運営体制:同社関係者のインタビュー記事によれば、タイの店舗はタイナムシン、伊藤忠商事、ハチバンの3社合弁会社「タイハチバン」が運営し、ハチバンとタイハチバンのフランチャイズ契約に基づいて展開されています。
価格:ビジネススクールのケース研究によれば、進出当時のバンコクでは日本人経営のラーメン店が1杯150〜200バーツ、屋台の麺類が10〜12バーツ、ビッグマックが約80バーツという相場のなかで、同社は味噌ラーメンを45バーツに設定し、在留邦人ではなくタイの大衆を最初から主要顧客に据えました。現在も価格の位置づけは変わらず、2024年の業界報道によれば主力商品は1杯100バーツ前後で、日系ラーメンチェーンの多くが客単価250〜300バーツ超で展開するなかで際立った手頃さを維持しています。
現地での受容:同じ報道のなかで、ハチバンの海外事業担当役員は、30年以上かけて店舗を増やした結果、タイ人から「ラーメンといえば8番」と言われ、タイ発祥の企業だと誤解されるほど浸透していると述べています。メニュー面でも現地化が進んでおり、タイ限定で開発されたトムヤムクンらーめんやトムヤムチャーシュー麺(108バーツ)が人気の上位を占め、タイの菓子カノム・クロックに形状が似ていることから約20年前に加えられたたこ焼き(95バーツ)も定番のサイドメニューになっています。一方、同社関係者へのインタビューによれば、日本の看板商品である野菜らーめんは、野菜が屋台で無料で付いてくるタイでは当初「野菜にお金を払う」価値が伝わらず苦戦しました。それでも同社は野菜らーめんを8番の象徴としてメニューの筆頭に掲げる方針を変えていません。
2|この事例から何を読み取るか(当社の見立て)
以上は事実の列挙です。ここからは、当社の見立てとしての含意を3点に分けて述べます。
(1)価格と導線を現地の日常に合わせたこと
進出当時、バンコクの日本式ラーメンは日本人経営・日本人顧客向けで、価格も現地の日常の外食からかけ離れていました。そのなかで45バーツという価格設定は、「日本の味」を現地の大衆が日常的に手に取れる水準に置くという明確な選択でした。日本食がまだ特別な存在だった1990年代のタイで、モールという生活動線上の清潔な店舗で、屋台より高いが日本食としては圧倒的に手頃な価格を提示したことが、在留邦人市場ではなくタイ人市場そのものを取りにいく起点になったと当社は見ています。この価格の位置づけは30年後の現在(1杯100バーツ前後)まで一貫しており、バンコクの中間層だけでなく50県以上への地方展開を可能にした前提でもあります。加えて、トムヤムクンらーめんのような現地発メニューを人気の柱に育てつつ、野菜らーめんという本体のアイデンティティは曲げないという線引きは、現地化と標準の維持のバランスの取り方として示唆に富みます。
(2)供給網を30年かけて段階的に内製化したこと
手頃な価格は、それを支える原価構造がなければ維持できません。同社の海外事業担当役員も、手頃な価格は一定の店舗数と客数の規模があってはじめて保てると報道のなかで述べています。年表のとおり、同社は調味料製造(1997年)、貿易機能(2005年)、セントラルキッチン(2006年)、物流拠点(2019年)、第2工場(2023年)と、製造・物流の機能を段階的に自前化してきました。この積み上げが、味の再現性の担保と、為替・輸送コストの変動を現地で吸収できる原価構造の構築に寄与していると当社は見ています。特筆すべきは、日本国内の8番らーめん向けスープエキスまでタイの自社工場で製造している点で、進出先の拠点が本国の供給網の一部を担う段階にまで達しています。
(3)単独直営ではなく、現地パートナーとの合弁を土台にしたこと
そして、この価格戦略と供給網投資を30年にわたって実行できた器が、資本の組み方です。海外1号店の時点から、展開主体は現地企業・日本の総合商社・ハチバン本体の3社合弁であり、本体との関係はフランチャイズ契約で規律されています。この組み方は、現地パートナーの商業施設ネットワークや行政対応力を取り込める点で合理的であることに加え、次章で述べるタイの外資規制と整合させやすい構造でもあります。一方で、合弁は統治の設計を誤ると身動きが取れなくなる形態でもあります。株主間契約における重要事項の決定方法、取締役構成、配当方針、知的財産の帰属、行き詰まった場合の解消手続などを契約段階で定めておくことが、拡張と統治を両立させる前提になります。
3|外資規制の論点 ― 外国人事業法(FBA)と参入スキーム
タイ進出の検討では、外国人事業法(Foreign Business Act)への対応が避けて通れない論点です。要点は次のとおりです。
- 飲食業を含むサービス業の多くはFBAの規制対象であり、特段の許認可を用いない場合、外資49%以下・タイ側51%以上の資本構成が基本形になります。
- 事業内容や条件によっては、外国人事業許可(FBL)の取得やタイ投資委員会(BOI)の投資恩典等を通じて、外資過半から100%までの構成を設計できる余地があります。どのルートを取るかは、株主構成・取締役構成・資本金・ワークパーミット枠と事業計画を同時に設計して判断すべき事項です。
- タイ人名義を借りて外資規制を回避する、いわゆるノミニー(名義貸し)構造はFBAで明確に禁止されており、懲役・罰金等の罰則の対象です。近年は当局の摘発運用も強化されています。この論点と実務対応は、当社ブログの別稿(タイの外資規制・ノミニー問題)で詳しく扱っています。
8番らーめんの現地企業・商社を含む合弁とフランチャイズの組み合わせは、こうした規制環境と整合しながら統治と拡張性を確保する組み方の一つの実例と位置づけられます。
4|進出を検討する企業が押さえるべき時間軸
本事例からもう一点強調したいのは時間軸です。8番らーめんの歩みを分解すると、短期に成果が出たもの(1号店の立地と価格設定による集客)、中期で効いたもの(セントラルキッチン等の供給網整備による原価と品質の安定)、長期でしか得られないもの(「ラーメンといえば8番」と呼ばれるまでのブランドの定着)が層をなしています。海外進出の効果を単一の年限で判断するのではなく、短期・中期(5〜7年)・長期(10年程度)のそれぞれの時間軸で実現すべき効果を事前に定義し、時間軸ごとに検証することを推奨します。供給網や人材への投資の順序、そして撤退・縮小の判断基準も、この仕分けの上で設計するのが実務的です。
5|当社のご支援について
Syntax Partnersは、クロスボーダーM&Aおよび合弁(JV)を通じた海外進出・資本提携について、ご依頼主お一方の利益を最大化するFA(ファイナンシャルアドバイザー)として、現地パートナーの探索から交渉、クロージング、その後の体制構築までを一気通貫でご支援しています。対象地域はタイをはじめとするASEAN各国を軸に、インド、東アジア、欧米まで対応しており、進出だけでなく、現地合弁の再編や持分の譲渡・撤退のご支援も対象としています。
タイ進出やASEAN展開について、市場・規制・資本構成・パートナー選定の観点から個別のご相談を希望される場合は、お問い合わせフォームよりご連絡ください。
参考出典
- 株式会社ハチバン公式サイト「海外事業」「タイの店舗情報」(店舗数は2026年4月10日現在)
- NNA・共同通信系媒体「8番、コスパで圧倒的地位 日本食店、タイの地方に広がり」(2024年3月。価格帯・出店県数・海外事業担当役員のコメント等)
- 鈴木智子「8番らーめん 大衆のための日本式ラーメンの海外展開」一橋ビジネスレビュー(2018年。進出時の価格設定の経緯等)
- HOKUROKU「『HACHIBAN-RAMEN』がタイで”ラーメン”の代名詞に。8番らーめん成功の物語」第1〜2話(合弁の経緯、メニューの現地化等)
- 日本経済新聞「8番らーめんがアジア展開 タイに工場、ベトナムに出店」(2023年7月)
- タイ100店舗達成に関する現地報道(2013年1月)
- JETRO「タイ:外資に関する規制」(外国人事業法、最低資本、規制リストの区分等)
- タイの法令・当局公表資料および現地法律事務所の実務解説(外国人事業法、ノミニー構造の違法性・罰則、摘発動向)