
はじめに:海外事業課題と M&A
日本の大手・中堅企業が海外事業を拡大するにあたり、自社での成長(オーガニック)とM&A・資本提携(インオーガニック)を組み合わせる戦略がますます重要になっています。近年、アジア新興国(中国、韓国、シンガポール、インドなど)の台頭で競争が激化し、グローバル経済の加速に伴い経営判断の迅速化が求められる中、「時間を買う」施策としてのM&Aが有力な選択肢となっています。
本稿では、海外展開に成功している企業の多くがオーガニック成長とインオーガニック成長をいかに組み合わせているかを概観し、様々な海外事業に関する課題をM&Aで解決する具体例も紹介します。また、ローカル人材の活用による長期的な関係構築の重要性や、M&Aによるコスト削減・投資効率向上などのメリット、そして成功のためのポイントについて考察します。
関連用語と定義
オーガニック成長(Organic Growth)
企業が自社の経営資源のみで達成する内側からの成長を指します。新製品開発や既存事業の拡大による売上増加など、時間をかけた自力成長が該当します。リスクは比較的小さい一方、成長スピードには限界があります。
インオーガニック成長(Inorganic Growth)
M&A(合併・買収)や資本提携など企業外部のリソースを取り込むことで実現する成長戦略です。短期間で事業規模拡大や新市場参入が可能になる反面、買収コストやPMI(統合)リスクを伴います。
シナジー(Synergy)
企業同士の統合によって生まれる相乗効果を指します。統合前の単純な合計以上の価値を創出する効果であり、例えば調達コスト削減や販売チャネル拡大、技術融合による新製品開発などが含まれます。適切なM&Aによりシナジーが生まれれば、まさに「1+1を3以上にする」価値創造が可能です。
オーガニック成長とインオーガニック成長の両輪
持続的な成長にはオーガニックとインオーガニックを組み合わせる戦略が有効です。急速に変化するVUCA時代、自社努力だけで中期目標を達成するのは極めて困難であり、不足部分をM&A等で補完することが不可欠になっています。実際、積極的にM&Aを活用している企業ほど成長軌道に乗っている傾向があります。
例えば、精密モータ大手のNidec(日本電産)は創業以来75社以上を買収し、グループ企業数346社という世界規模の企業に成長しました。Nidecは「時間を買う」との発想でM&Aを推進し、自社の有機的成長と組み合わせることで相乗効果を上げていると述べています。つまり、M&Aは自社だけでは得られないリソースや市場参入機会を時間短縮して獲得する手段なのです。
オーガニック成長は堅実ではあるものの時間がかかり、インオーガニック成長はリスクもある一方で即効性があります。したがって両者を補完的に用いることが重要です。例えば、永守重信CEO率いるNidecは「M&Aだけで成長したのではなく、既存事業の成長と両輪だった」と述べており、自社開発に M&A で得た技術やチャネルを組み込みながら成長しています。このように自前主義と買収戦略のバランスを取ることが、着実かつ非連続的成長を両立させるカギとなります。
アジア新興勢力の台頭とスピード経営の必要性
グローバル競争環境の激変により、日本企業は従来以上に迅速な経営判断を迫られています。とりわけ、中国や韓国、シンガポール、インドなどアジア諸国の企業が近年台頭し、国内のみならず海外市場でも強力な競合となっています。例えば、中国企業はもはや「安価な生産拠点」ではなく、技術力でも世界トップクラスの企業が増えています。韓国のSamsungやHyundai、中国のTencentやHuaweiといった企業が各産業で存在感を増し、市場シェア争いが激化しています。
さらに、デジタル化とグローバル経済の加速によって市場ニーズの変化速度が上がり、製品ライフサイクルも短縮しています。こうした中で、日本企業が海外展開で出遅れないためには、従来の延長線上の戦略では不十分です。「作ってから売る」従来型ではなく、「必要なものは買ってでも手に入れる」俊敏さが求められます。事実、日本企業のクロスボーダーM&A件数・金額は増加傾向にあり、2023年には日本企業関与のM&A額は前年比23%増の1,230億ドルに達しました。これは日本企業が海外での成長機会を積極的に追求している証左でしょう。
特に注目すべきは、経営のスピードです。経営環境が目まぐるしく変わる現在、経営陣が意思決定を迅速化しないと、市場の先行者利益を逃しかねません。M&Aはこのスピード面で大きな効果を発揮します。自社でゼロから海外市場に参入するには、市場調査から現地法人設立、顧客基盤構築まで数年単位の時間がかかります。一方、現地企業を買収すれば翌日からその企業の販売網や生産拠点を自社のものとして活用できるのです。これは競合他社より**一歩先んじる時間を「買う」**ことに他なりません。後述する事例のように、M&Aによって市場投入のタイミングを大幅に早めたケースは少なくありません。
M&Aは「時間を買う」戦略――シナジーが生むイノベーション
M&Aの本質的な価値は単に規模を拡大することではなく、「時間を買う」ことで得られる種々のメリットにあります。具体的には、(1) 市場参入時間の短縮、(2) 必要リソースの即時獲得、(3) シナジー効果による新たな価値創造です。
(1) 市場参入の時間短縮
前述の通り、M&Aにより一挙に現地の販路や顧客基盤を取得できます。例えば、大手ビールメーカーのアサヒグループホールディングスは2016~2017年に欧州の有力ビールブランドを相次いで買収し、一気に欧州市場でトップクラスのシェアを獲得しました。自力で少しずつ市場開拓するのに比べて遥かに短期間でのプレゼンス確立に成功した例です。このようにM&Aはマーケットエントリーのリードタイムを劇的に縮めます。
(2) 必要リソースの即時獲得
企業が成長に必要とする技術、人材、ブランド、顧客などの経営資源を、一から育成するのではなくすでに持っている企業を取り込むことで即座に手に入れられます。精密小型モータ世界最大手のNidecは、自社が持たない製品分野や技術を持つ企業を「動くものは何でも買う」という勢いで買収してきました。例えば2015年にはドイツのポンプメーカーGPM社を買収し、自社モーターとの組み合わせで電動オイルポンプという新製品領域に一気に踏み込みました。この買収によりNidecは欧州自動車メーカー各社(VWやBMW等)とのパイプも獲得し、販路拡大と顧客ニーズの迅速な把握につなげています。M&Aを通じて得たリソースは、時間をかけずに企業の一部として活用できます。
(3) シナジー効果とイノベーション
単独では実現できなかった新たな価値創造が、M&Aによって可能になります。異なる強みの融合により、新製品・サービスや革新的ビジネスモデルが生まれるからです。前述のNidecとGPMの例では、モーター技術とポンプ技術の統合により高付加価値のモジュール製品を開発でき、市場の電動化ニーズに応えるイノベーションが実現しました。また、買収企業の優れた経営手法を取り入れることで、自社全体の生産性向上やコスト効率化につながることもあります。例えば、空調大手のダイキン工業は2012年に米国の住宅用空調メーカーGoodmanを買収しましたが、Goodman社が持つ低コスト大量生産とリーン経営のノウハウをグループ全体に展開し、世界市場での価格競争力強化に役立てています。このように、M&Aによって生まれるシナジーはイノベーションや価値創出の原動力となり得ます。
販売面の課題をM&Aで解決 – ローカル人材活用と関係構築
海外で事業拡大する際、販売・営業面での課題がしばしば壁となります。言語・商習慣の違い、ブランド認知の低さ、流通チャネル不足などにより、現地顧客との関係構築に時間がかかるからです。日本企業が陥りがちなのは「良い製品を作れば売れるはず」という考えですが、実際には**「売って終わりではない」長期的な取引関係の構築が不可欠であり、そのためには現地事情に通じた人材と地元ネットワーク**が欠かせません。
M&Aや現地企業とのパートナーシップは、こうした販売面の課題解決に非常に有効です。現地企業を取り込むことで、その企業が築いてきた顧客基盤・販売網・ブランド信用を一挙に自社のものにできます。さらに、元からいるローカル人材を活用できるため、言葉や文化の壁を乗り越えやすくなり、顧客との信頼関係構築もスムーズです。
ケース1: トヨタ自動車がスズキと提携 – インド市場での販売強化
トヨタは長年インド市場で苦戦していました。インドでは小型車市場をスズキ(マルチ・スズキ)が寡占しており、トヨタは製品ラインナップや価格面で競合車に劣勢だったのです。しかし2017年に資本提携と業務提携を結んだことで状況が一変しました。スズキの人気小型車をトヨタブランドでも販売できるようにし、トヨタは不足していた小型車ラインナップとスズキの販売網を即座に手に入れました。その結果、2023年時点でトヨタがインドで販売する車の約43%はスズキ製のOEM車種が占めるまでになり、市場シェアと売上が大幅に向上しました。
これは現地トップ企業との提携によって、長年築くはずの販売チャネルと顧客基盤を瞬時に獲得した好例です。また、スズキ側もトヨタのハイブリッド技術供与を受けるなど双方にメリットがあり、相互補完的な関係となっています。この提携成功の背景には、トヨタがスズキの現地経営を尊重しローカル人材の知見を活かしたことも大きいと考えられます。
ケース2: アサヒグループが欧州ビール大手を買収 – ブランドと販路の即時獲得
アサヒグループは国内ビール市場の伸び悩みを打開するため、2016年以降欧州で積極的なM&Aを行いました。2016年、ABインベブ社が巨大合併に伴い手放すことになったペローニ(伊)、グロールシュ(蘭)等のプレミアムビールブランドを約25.5億ユーロで買収。さらに2017年にはピルスナー・ウルケル(捷)など東欧の著名ブランド群を73億ユーロで買収しました。
これらにより、アサヒはイタリア、オランダ、英国、東欧各国でトップクラスのシェアを持つブランドと販売ネットワークを手中に収めました。現地の醸造所や営業チームもそのまま傘下に収めたため、買収直後から既存の流通チャネルを活かして収益を上げています。さらに注目すべきは、これら取得ブランドの流通網を梃子に自社の看板商品「スーパードライ」を欧州市場に浸透させたことです。買収先企業の持つパブやスーパー等の販路にスーパードライを載せることで、短期間で欧州各地に浸透させることができました。
アサヒは「時間を買う」形で欧州市場参入を果たし、2024年には欧州だけで売上47億ユーロ・営業利益5.84億ユーロを見込むまでになりました。この成功も、現地のブランド力・人材・ネットワークという無形資産を余すところなく活用できたからこそと言えます。アサヒは買収後も現地経営陣を続投させ、各ブランドの持ち味を尊重する統合を進めています。結果として、日本発のビール会社が欧州プレミアムビール市場で確固たる地位を築くに至りました。
ケース3: ダイキン工業がGoodman社を買収 – 現地生産とコスト競争力の強化
ダイキンは2012年、米国の空調機メーカーであるGoodman Globalを37億ドルで買収しました。当時ダイキンは業務用空調で世界首位でしたが、北米の住宅用市場(ダクト式空調)の攻略が課題でした。Goodmanは北米住宅用空調でシェアNo.1(25%)を持ち、全米に900以上の販売拠点を展開する企業でした。
買収によりダイキンは北米市場で一躍トップクラスの地位を得るとともに、同社の広範なディーラーネットワークにアクセスできるようになりました。さらに、Goodman社の強みは安価な大量生産と効率経営にありました。同社はモデル標準化や部品内製化でコストを極限まで削減するノウハウを持っており、ダイキンはこれを自社の他地域の生産にも取り入れることでグローバルでの製造コスト低減を達成しました。
実際、買収後ダイキンの営業利益率は改善し、北米事業も大きく拡大しています。つまりこのM&Aは、「市場シェア拡大(売上増)」と「生産効率向上(コスト減)」という二重の効果をもたらしたのです。同時に、ダイキンはGoodmanの経営陣・従業員を引き続き登用し、現地色を残しつつ自社グループに組み入れる柔軟なPMIを行いました。その結果、人的な摩擦も少なく、むしろ米国発のリーン生産方式を世界展開する学びにもつながっています。
ケース4: Nidecによる海外メーカー買収 – 製品ライン拡充と技術融合
小型モータで世界シェアを拡大してきたNidecは、更なる成長のため周辺部品メーカーを積極的に買収しています。その一つが前述のドイツGPM社の買収です。Nidecは従来モーター単体を自動車メーカーに納入していましたが、GPM買収によってモーター+ポンプ+電子制御を組み合わせたシステム製品を提供できるようになりました。
このように製品ポートフォリオを広げ、一社で完結したモジュールを売ることで付加価値を高める戦略をとっています。さらに、GPMが長年培った欧州自動車メーカーとの太いパイプ(VWやBMW等との取引関係)を取得したことで、Nidecはこれまで接点が薄かった顧客にも提案が可能となりました。
また、調達面でも、Nidecグループ全体で部品購買を集約することでスケールメリットによるコスト低減を図っています。このように、製造業ではM&Aによる製品ラインナップ拡充とコスト効率化のシナジーが極めて重要です。Nidecは買収先企業に対しては基本的にその経営を尊重しつつ、必要な連携部分ではグループ統合を進めるポリシーを掲げています。そのため、現地拠点の従業員士気を維持しながら、購買や技術開発など肝となる部分で協働しグループ全体の競争力を高めることに成功しています。
日本企業の海外M&A成功のポイント
最後に、海外M&Aを成功させるための共通ポイントを整理します。単に買収すれば自動的に成果が出るわけではなく、戦略的選定と買収後の統合管理が極めて重要です。
戦略と合致したターゲット選定
自社の中期戦略上、何が不足しており、それを埋めるにはどんな企業を獲得すべきかを明確にすることが出発点です。場当たり的に案件に飛びつくのではなく、補完すべき機能(販売網なのか製造拠点なのか技術なのか)や必要なタイムフレームを社内で共有し、能動的に候補を探す姿勢が肝要です。その際、市場環境の変化に応じて戦略目標も柔軟にアップデートし、複数の選択肢を用意しておくコンティンジェンシー計画も重要になります。
適正なデューデリジェンスと評価
買収候補の財務状況や事業シナジー、リスクを事前に徹底調査し、適正な買収価格を見極めることが必要です。高額すぎる投資はその後の利益圧迫になりかねず、逆に低すぎれば相手に断られます。また、文化的相性や経営者のビジョン共有度合いといった定量化しにくい点も含め評価することが望ましいです。
PMI(買収後統合)計画の徹底
成功の可否は買収後最初の100日で決まるとも言われます。統合計画(PMI計画)を事前に綿密に準備し、組織体制・人事・ブランド戦略・システム統合など各論についてロードマップを引いておく必要があります。特に人材に関しては、キーパーソンの流出防止策(インセンティブ付与等)や従業員との丁寧なコミュニケーションが不可欠です。現地従業員が「買収されて将来が不安だ」と感じれば士気低下を招きかねません。ローカル人材の能力発揮を促しつつ、本社の価値観との融合を図るバランス感覚が求められます。例えばNidecでは買収先企業のトップに「Nidec流経営大学」で研修を受けてもらう一方、現場の裁量は大きく維持する方針をとっているとされています(現地の自主性尊重)。
シナジー効果のモニタリングと実現
買収の事業計画段階で見込んだシナジー(コスト削減額や売上増加効果など)がきちんと実現するよう、KPIを設定して定期的にモニタリングすることも大事です。統合直後はコストや混乱が先行しがちですが、中長期でシナジーが現れるようPDCAを回します。例えば、調達統合によるコスト削減なら、購買部門横断のチームを設け進捗を管理する、といった具体策が求められます。
文化の統合と信頼関係構築
最後に見逃せないのは企業文化の統合です。海外M&Aでは国民性や企業文化の違いから内部対立が起きるリスクがあります。対策として、共通の目的意識を醸成するための経営ビジョン共有や人材交流(両社の人員を混成チームに入れる等)を図ると良いでしょう。現地に根付いたやり方を尊重する謙虚さを持ち、本社の一方的なやり方を押し付けない姿勢が信頼を生みます。信頼関係が生まれれば、困難が起きても両者で乗り越える協力体制ができます。
以上のポイントを踏まえれば、M&Aや提携による海外事業拡大の成功確率は格段に高まります。実際、日本企業の間でもコングロマリット・ディスカウント(企業価値の割安さ)解消や成長加速のために思い切った事業ポートフォリオ転換が進んでいます。その文脈で、使える手段は積極的に使うという機運が高まっています(防御的でなく攻めのM&A)。
おわりに
本稿では、海外事業の課題をM&A・パートナーシップによって打開する戦略について、理論と具体例の両面から考察しました。オーガニック成長とインオーガニック成長を組み合わせることの有効性、競争激化時代におけるスピード重視経営の重要性、そしてM&Aによる即時の市場参入・リソース獲得とシナジー創出のメリットを確認しました。
留意頂きたいのは、M&Aや提携はあくまで経営目標達成の手段であり、その成否は経営者の戦略眼と実行力にかかっているという点です。単独成長では得られない飛躍を実現するために、M&Aは極めて有用な武器となります。しかし使い方を誤れば負債や混乱を招く「両刃の剣」でもあります。重要なのは、的確な戦略に基づいて慎重かつ大胆に意思決定し、丁寧に統合作業を進めることです。
日本企業が持つ強み(技術力・品質・勤勉さなど)に、M&Aによる機動力や外部リソースを組み合わせることで、グローバル市場での競争力は一段と高まるでしょう。実際、近年の日本企業は国内低成長を背景に海外M&Aを増加させており、その波は今後も続くと見られます。「創る」と「買う」を巧みに使い分け、必要とあれば「未来を金で買う」覚悟を持つこと――それがこれからの激しい国際競争を勝ち抜く鍵となるはずです。
日本企業がさらなる飛躍を遂げるため、そして海外事業の課題を乗り越えるために、本稿の考察が一助となれば幸いです。
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- クロスボーダーM&A戦略立案:中期経営計画に基づくターゲット選定とアプローチ支援
- 現地企業との提携・買収支援:アジア・欧州・北米を中心とした現地ネットワークを活用
- PMI(買収後統合)計画策定と実行支援:文化統合・人材維持・シナジー創出を重視
- ローカル人材活用戦略の設計:現地経営陣との協働体制構築を支援
- 製造・販売拠点の取得・再編支援:コスト効率化と市場アクセスの両立を実現
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