
はじめに
近年、自動車業界は100年に一度とも言われる大変革期を迎えています。世界的な電気自動車(EV)シフトの加速、中国メーカーの台頭、サプライチェーンの再編など、業界構造が劇的に変化しつつあります。特に東南アジアでは、日本車が長年築いてきた市場の牙城が揺らぎ始めており、完成車メーカーのみならず部品メーカーや物流・IT事業者など自動車産業全体に影響が及んでいます。本レポートでは、自動車業界全体の変化と日本企業への影響、そして今後取るべき戦略について、タイ市場におけるトヨタの中国製部品調達という事例をもとに読み解きます。
当社では、本記事のような産業変革への対応戦略の立案を含む海外事業に関するコンサルティング、M&Aアドバイザリー(外部資本との提携支援や事業再編・撤退戦略の策定・実行を含む)を提供しています。ぜひお気軽にご相談ください。>お問い合わせはこちら(秘密厳守)
自動車業界全体の変化:EVシフトと中国メーカーの台頭
世界の自動車産業は急速な電動化の波に直面しています。2023年には新車販売の約18%が電気自動車となり、わずか5年前の2%から飛躍的な成長を遂げました。EV普及は中国・欧州・米国の3市場で全体の95%を占めるなど地域差はあるものの、中国は世界最大のEV市場かつ生産拠点として圧倒的存在感を放っています。2023年、中国の自動車輸出台数は初めて年間400万台を超え、そのうち約120万台がEVでした。この世界的EVシフトの中、日本や東南アジアなど内燃機関車が主流だった市場にも変革の兆しが広がりつつあります。
中国メーカーの台頭は著しく、EV技術や電池分野の優位性を背景に各国でプレゼンスを拡大中です。欧米では中国製EVへの警戒から関税強化など対抗策も出ていますが、東南アジアでは比較的受け入れられやすい環境があり、中国勢はこれを好機として戦略的に進出しています。
また、地政学リスクや貿易摩擦の高まりもサプライチェーン戦略に影響を与えています。米中対立や各国の産業政策を背景に、生産・調達拠点の見直しや“現地化”が進む傾向にあり、各メーカーは一国・一地域に過度に依存しない体制づくりを模索しています。こうした動きは完成車メーカーだけでなく、系列部品メーカーや原材料供給業者にも及んでおり、自動車バリューチェーン全体で再編の波が起きています。
東南アジア市場の変貌:日本車の牙城と中国EVの猛攻
東南アジア、とりわけタイ市場は長年「日本車の牙城」と呼ばれてきました。1960年代からトヨタ、ホンダ、日産、いすゞ等の大手完成車メーカーが進出し、現地の部品メーカーと緊密な供給網(サプライチェーン)を構築してきた歴史があります。タイには約3,100社の部品メーカーが集積し、そのうち約1,400社が日系企業という圧倒的なネットワークを形成してきました。ピックアップトラックなど現地ニーズに合致した車両を武器に、タイ新車販売のシェアは一時9割近くを日本車が占める状態だったのです。
しかし、ここ数年で状況は一変しつつあります。タイ市場で日本車のシェアは足元で約71%まで低下し、中国車は約16%に上昇しています。背景には、中国のEVメーカー各社の積極攻勢があります。中国EV最大手のBYD(比亜迪)を筆頭に、AION、NETA、MGなど10社以上がタイ市場に参入し、EVやプラグインハイブリッド車を次々投入。低価格戦略と豊富な車種ラインナップを武器に、都市部の富裕層から浸透を図り、日本勢の牙城だった市場を切り崩し始めました。
こうした中国勢の本気度は、生産面でも顕著です。2024年には以下のような動きが相次ぎました。BYDの巨大工場(敷地面積東京ドーム20個分)は最新設備を備え、タイのみならずASEAN全域への輸出拠点となる計画です。生産立ち上げに際して中国人技術者が多数派遣され、タイ人スタッフに中国流の製造ノウハウを直接叩き込む体制が敷かれました。さらに、タイ国内の大学との提携による人材育成や、現地部品メーカーとの商談会開催など、サプライチェーン構築に向けた動きも活発です。これはかつて日本メーカーが現地化を進めた姿とも重なり、タイ業界関係者からも「往年の日本メーカーを見ているようだ」との声が聞かれるほどです。
政策面でも追い風があります。タイ政府はEV普及を促進するため、輸入EV関税の免除や購入補助金などの優遇策を実施しています。これら優遇の適用条件として「一定期間内の国内生産開始」が課されているため、中国メーカーはこぞって現地工場建設を急ぎました。その結果、タイは東南アジアにおけるEV生産ハブの様相を呈し、日本勢の優位性は目に見えて低下しています。
一方、日本メーカー側には苦戦や撤退の動きも出始めました。SUBARUはタイでの現地生産から撤退し、スズキも2025年末までにタイ工場を閉鎖予定と報じられています。さらに2024年7月、ホンダはタイ国内に2カ所あった完成車工場を1カ所に集約し、生産能力を年27万台から12万台へ半減させる方針を明らかにしました。スズキはタイ生産台数がピーク時(2016年)の約6万台から2023年度には7千台余りに激減、ホンダも2013年の27万台超から2023年には14万台余りまで減少しています。市場そのものの伸び悩みに加え、小型車セグメントで中国勢にシェアを奪われたことが一因で、ピックアップトラックのような伝統的得意分野を持たないメーカーほど打撃が大きく、事業縮小を余儀なくされています。
トヨタの戦略転換:タイでの中国製部品調達
こうした環境変化の中、トヨタ自動車は東南アジア戦略の大転換を図ろうとしています。2025年8月、日本経済新聞の報道によれば、トヨタは東南アジア最大の生産拠点であるタイ工場で中国部品メーカーからの本格調達を開始します。従来、この地域では日系サプライヤー中心の系列的な調達網を築いてきましたが、それを見直し価格競争力の高い中国製部品を積極活用する方針に舵を切ったのです。
具体的には、タイ有力部品メーカーのサミット・グループに対し、中国の内装材大手「蕪湖躍飛新型吸音材料(Wuhu Yuefei)」を紹介し、2025年1月にタイで合弁会社を設立させました。今後、現地に工場を設け同社からトヨタ向けに内装部品を供給する計画とのことです。日本車メーカーが主体となって中国部品メーカーの東南アジア進出を促すのは初めてのケースとみられます。さらにトヨタは、金型メーカーの浙江凱華模具や樹脂材料メーカーの金発科技といった中国企業の製品採用も、取引関係のある日系部品会社に働きかけています。中国系部品の採用拡大により調達コストを削減すると同時に、日系サプライヤーに対しても競争圧力をかけ、コスト低減を促す狙いがあると考えられます。
トヨタは2028年頃に東南アジアで投入予定の新型電動車を見据え、上記の戦略を進めています。その車両にはEVやハイブリッド車(HV)など複数の動力に対応する「マルチパスウェイ・プラットフォーム」を採用し、中国系部品の活用によって「コストを従来より3割削減」する目標を掲げています。この大胆なコストダウン目標は、中国市場向け低価格EV「bZ3X」での成功体験を東南アジアにも展開しようという考えに基づきます。実際、bZ3Xでは中国メーカー製の安価な部品を最大限活用し、約22万円(11万元)というトヨタ最安のEVを実現しました。同様の手法で、東南アジアでも**「安価で競争力ある電動車」を開発しようとしている**とトヨタ関係者は述べています。
また、トヨタは長年取引のある日系部品メーカーに対しても中国製品採用を促す姿勢を明確にしています。。これは自社調達コストの削減だけでなく、既存サプライヤーの変革を促す圧力でもあります。タイには現在、約3,100社の部品メーカーが存在し、そのうち日系は約1,400社、中国系は約190社と少数ですが、中国系は2017年末比で4倍に増加しています。現地では「中国製部品は日系より2~3割安く、(日系企業の中には)撤退や事業縮小に追い込まれる所も出てくる」との指摘もあります。トヨタの決断は、東南アジア全域での日系供給網(ひいては日本の系列システム)の在り方に大きな転機をもたらす可能性があります。
日本企業への影響:供給網・系列への波及と競争環境の変化
トヨタの調達戦略転換は、日本の自動車産業全体に大きな意味を持ちます。他の完成車メーカーもコスト競争やEV化という同様の課題に直面しており、タイでのトヨタの動きは一種のシグナルと言えるでしょう。ここでは、日本企業(完成車・部品メーカー)、およびそれらを支える協力企業(物流・ITなど)への主な影響と課題を整理します。
サプライチェーンと系列構造への波及
まず、サプライチェーン(供給網)および系列構造への影響です。日本の自動車産業は、長年にわたる系列関係と高品質な部品群によって支えられてきました。自動車メーカー(OEM)を頂点に据え、株式や人材で結びついたピラミッド型の系列(垂直統合)により、安定した取引関係が維持され、技術協働や品質管理が進められてきたのです。しかし、EVシフトに伴う必要部品の変化やコスト競争の激化により、従来のケイレツ(系列)体制は大きな転機を迎えています。米カーライルの寺坂氏は「EVでは必要部品が減りソフトウェアなど新たな専門知識が要るため、自動車メーカーはもはや従来通り全ての系列企業を支えきれないだろう」と述べ、系列システムの変容を予測しています。
トヨタのように中国企業を含む外部との協業に踏み切る動きは、系列の枠を超えた再編を加速させるでしょう。既存の日系サプライヤーにとっては、受注減や収益悪化のリスクが高まります。名古屋大学の山本真義教授は「日本製部品と中国製部品で2割のコスト差がつけば戦えないのが現状。3割となれば長年かけて構築された自動車系サプライヤ網が一気に崩壊しかねない」と警鐘を鳴らします。極端な見方をすれば、**「将来的に生き残れるのは完成車メーカー(OEM)のみで、ティア1(一次下請け)以下の部品メーカーは他分野への活路を模索する必要も出てくる」**との指摘もあります。つまり、系列下位の部品メーカーは取引縮小や価格引き下げ圧力に晒され、場合によっては事業撤退や倒産、他業種への転換を迫られる可能性があります。
他方で、部品の現地・他国調達を進めることは地政学リスク分散にもつながります。米中関係悪化などで特定国からの供給が滞るリスクに備え、調達先を多元化しサプライチェーンを地域ごとに最適化する動きは必須です。
トヨタのタイでの施策もコスト目的だけでなく「供給網のローカル化・多元化による安定確保」という側面があります。この動きは他のASEAN諸国やインドなどでも検討され始めており、日本の部品メーカーも従来のビジネスモデルを見直し、グローバルに価値を提供できる体制を模索する必要があります。
協力企業への影響
自動車サプライチェーンの変化は、自動車業界における各サプライヤーはもとより、物流やITなど周辺の協力企業にも波及します。例えば、EV化により電池や電子部品の比重が増すと、従来とは異なる物流ニーズが生まれます。大型・高重量のバッテリーは輸送中の発火リスクなど安全面の課題があり、新たな梱包・輸送プロトコルが求められています。
物流事業者は、電池の危険物取り扱いやリサイクル物流など新分野への対応力を強化する必要があるでしょう。また生産拠点の分散や現地調達拡大により、国際物流の流れも変化します。日本から完成車・部品を輸出する従来モデルが減り、現地調達品の域内流通が増えることで、物流企業は拠点戦略やサービス内容を見直す局面です。
IT・テクノロジー企業にとっても、チャンスと課題が生じています。**CASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)**の流れで自動車は「走るデータセンター」の様相を呈し、ソフトウェアやデジタルサービスが不可欠となりました。
従来ハードウェア中心だった自動車産業に、ソフトウェア企業や通信・地図サービス企業などIT業者が深く関与するようになっています。例えばトヨタは独自OSやコネクテッドサービスに注力していますが、ファーウェイやグーグルなど海外IT企業の技術を導入するケースもあります(他社事例)。日本の自動車メーカー系列外からIT分野のパートナーを受け入れる動きは今後ますます増えるでしょう。これは裏を返せば、従来からの系列IT企業や部品メーカーの中でソフトウェア技術対応が遅れた企業にとっては競争力喪失につながりかねません。逆に言えば、新規参入のテック企業や外資系サプライヤーにとっては、日本企業との取引機会が広がることを意味します。
競争環境の変化とブランド力への影響
次に競争環境の変化です。東南アジア市場での中国勢の台頭は、日本メーカーにとってシェア喪失=収益源低下を意味します。タイや東南アジアは日本車各社にとって米国に次ぐ収益柱であり、その牙城が崩れることは企業業績への打撃となります。BYDをはじめとする中国メーカーはEVを武器に日本勢の市場を急速に侵食しており、現状では日本メーカーは純EV市場で後手に回っているのが実情です。
ただし、足元では東南アジアではハイブリッド車(HV)の需要も根強く残っており、HVを含む多様なパワートレインを用意していることが日本勢の強みでもあります。HVは燃費性能と既存インフラ活用のバランスが良く、さらに中古車売却時の価格(リセールバリュー)が高い点で中国製EVと比べ優位性があります。これは日本メーカーが長年培ってきた品質とブランドへの信頼の賜物で、現時点では大きな強みです。実際、タイの消費者からは「日本メーカーが不正をするはずがない」「日本車なら故障も少なくアフターサービスも安心」といった声も聞かれ、日本ブランドへの厚い信頼が残っています。
しかし、長期的に見れば世界的なカーボンニュートラルの潮流の中でEVシフトは不可避と考えられています。HV主体とはいえ電動車への移行が進む今、中国メーカーとの競争に勝つにはEV分野での出遅れを早急に挽回する必要があります。中国勢も品質やサービス体制の向上に努めており、「安かろう悪かろう」のイメージは薄れつつあります。例えばBYDはタイ国内で大規模な販売・サービス網を構築し、充電インフラ整備にも協力しています。またソフトウェア更新による機能追加などデジタル面での顧客満足にも注力しています。こうした動きにより、日本 vs 中国ブランド間の差別化要因は縮小しつつあり、今後はサービスやユーザー体験も含めた総合力で競う必要があるでしょう。
中国サプライヤー活用の利点とリスク
最後に、中国サプライヤーを活用することの利点・リスクを整理します。トヨタの例は極端に映るかもしれませんが、他の企業も類似の選択を迫られる場面が増えるでしょう。その判断材料として、以下にメリット・デメリットをまとめました。
中国サプライヤー活用の主なメリット | 中国サプライヤー活用に伴う主なリスク(デメリット) |
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コスト競争力の向上: 一般に中国製部品は価格が2〜3割安く、完成車コストを大幅に削減可能。トヨタは中国部品活用で3割のコスト低減を見込む1。価格競争力を高め、EV普及期の市場で優位に立てる。 | 系列サプライヤーへの打撃: 日系部品メーカーの受注減・収益悪化を招き、撤退・倒産リスクも。長期的には日本の部品産業基盤が弱体化し、イノベーション力低下につながる懸念1。 *OEMと系列の「主従関係」が崩れ、系列再編・解体が進む可能性。 |
EV技術・リソースへのアクセス: 中国メーカーは電池・モーター等EV基幹部品で強みを持つ。提携により最新技術や大量生産スケールの恩恵を受けられ、製品開発スピード向上や調達安定化が期待1。 | 供給依存・地政学リスク: 中国依存度が高まることで、将来政治対立や輸出規制が起きた際に調達難に陥る恐れ。特に代替困難な部品で問題が起これば、生産計画が逼迫。リスクヘッジ策(複数国調達など)との両立が課題。 |
新興市場への適応力: 中国企業は新興国市場での低コスト競争経験が豊富。部品調達を通じ現地ニーズに合った廉価車種の企画に中国の知見を活用でき、市場適応力が向上。 | 品質・ブランドへの影響: 中国製への不信感が残る市場では品質懸念を持たれる可能性。ただ近年は品質向上著しく大きな問題は少ないものの、万一重大不具合が起これば自社ブランド信用を損ない得る。 |
今後考えるべきこと:日本企業への提言と戦略
以上を踏まえ、日本の自動車産業が今後競争力を維持・向上するために考慮すべきポイントを整理します。完成車メーカーだけでなく、部品メーカーや関連サービス企業全体に向けた提言です。
1. “ラストチャンス”とEV戦略の加速
専門家は「今が最後のチャンス」という強い表現で、東南アジアにおけるEV戦略加速の必要性を訴えています。日本メーカー各社は、得意とするハイブリッド技術を磨きつつも、純EVの開発・投入に慎重すぎた嫌いがあります。しかし、東南アジアでもEVの波は確実に迫っており、対応が遅れれば市場ポジションは大きく低下しかねません。技術開発投資の重点をEV・ソフトウェア領域にシフトし、各国政府の補助政策も活用しつつ、魅力的なEV車種を適切なタイミングで投入することが急務です。特に東南アジア向けには、高温多湿や未舗装路といった現地環境に耐える堅牢性、及び充実したサービス網を備えたEVを開発するなど、日本流の品質と信頼性で差別化を図る戦略が求められます。
2. コスト競争力とオープンな協業の模索
EV時代は新規参入が容易になり、安価な製品で市場を席巻する競合が現れています(中国勢がその典型です)。日本企業もコスト競争力確保のための大胆な手段を追求せねばなりません。その一つが今回のトヨタのように調達先・協業先をオープン化することです。自社グループ内ですべてを抱え込むのではなく、従来の系列にとらわれず外部企業とも積極的に協業・提携し、安価で優れた部品や技術を取り込む柔軟性が求められます。日産は中国で発売した新型EVセダン「N7」において開発と部品選定を現地合弁会社に委ねて低価格化を図り、2026年にはその中国生産車を東南アジアや中東に輸出する計画です。他社もこうした現地主導・グローバル調達の戦略を検討すべきでしょう。協業に際しては自社の核となる技術やブランド価値を守りつつ、他分野の知見を取り込む**“開かれた系列”**への転換がポイントになります。加えて、外部資本の活用も視野に入れるべきです。優れた技術を持つスタートアップへの出資や、逆に自社の一部門を外資と合弁化するなど、ファイナンス面での柔軟な戦略も競争力向上に有効です。
3. サプライヤーの競争力強化と産業政策の活用
日本の部品メーカー群(下請け企業)もまた変革を迫られています。完成車メーカーからの価格引き下げ要請は今後一層厳しくなる見通しであり、生産効率の向上や高付加価値化による自助努力が急務です。またEV化で求められる部品・技術が変わる中、自社製品・サービスのポートフォリオを見直し、成長分野へ経営資源をシフトしていく必要があります。例えばエンジン部品メーカーがモーター部品や電子制御部品へ転換を図る、車載機器メーカーが通信・ソフト開発力を強化する、といった戦略です。その際、単独で賄えないリソースは**企業間の統合や買収(M&A)**によって獲得することも選択肢となります。
実際、EVシフトのもとで戦略見直しを図る日本の部品企業は増えており、これを好機と見た外資ファンドが積極投資に動く例も出ています。政府や業界団体レベルでも、中小サプライヤーの事業転換支援や企業再編の促進といった産業政策が必要でしょう。補助金や減税措置で新技術開発や設備投資を後押しするとともに、異業種連携のマッチング支援など、エコシステム全体での競争力底上げ策が求められます。カーボンニュートラル達成という大義の下、官民連携でサプライチェーン強靭化を図ることが、日本の製造業基盤を守ることにつながります。
4. 市場ごとの最適戦略とシリーズ主義からの脱却
当面、東南アジア市場ではEVとHVの併存が続くと見られ、国・地域ごとに普及スピードやニーズが異なります。したがって市場ごとに最適なパワートレイン戦略を展開することが重要です。例えばタイやマレーシアの都市部富裕層にはEVを前面に、インフラ未整備の地方部や他国にはHV・高効率エンジン車でカバーするといった具合に、柔軟な地域戦略が必要です。この「マルチパスウェイ戦略」はトヨタが提唱するものですが、移行期における現実解と言えます。ただし長期的には各国で環境規制が強化される方向であり、最終的にEV中心へ舵を切るタイミングを逃さないことも肝要でしょう。
また、変化が激しい時代には**「選択と集中」**が欠かせません。従来の日本メーカーは多くの車種・市場をカバーし系列網も大所帯でしたが、今後は得意分野に経営資源を集中投入し、不採算事業からは撤退・縮小する決断力が求められます。系列主義についても、自社グループ内だけで完結させる考え方から脱却し、外部との連携や資本提携も含めた最適配置を考える必要があります。例えば将来的に有望な分野には外部の有力企業とジョイントベンチャーを組む一方、斜陽分野の子会社は売却してリソースを生み出す、といった施策です。このように身軽でしなやかな企業グループ体制へ移行することが、変革期を生き抜くカギとなります。
5. バリューチェーン全体での価値再定義とサービス強化
日本企業の信頼性・品質・サービスといった強みは依然大きな財産です。これを維持・発展させつつ、EV/デジタル時代におけるバリューチェーン全体の価値を再定義することが求められます。完成車メーカーにとっては、単に車を売って終わりではなく、販売後のソフトウェアアップデートや充電サービス網、リサイクルまで含めた包括的なカスタマーエクスペリエンス提供が重要です。手厚いアフターサービスや高いリセールバリューはこれまで日本車の強みでしたが、今後はそれに加えてコネクテッドサービスの充実や、EVに特有の電池劣化保証・下取りスキームなど新たな価値を提供していく必要があります。
同様に、部品メーカーや物流・IT企業も自社の提供価値を再評価すべきです。単なる下請け・協力会社に留まるのではなく、自社技術を活かして新サービスを創出したり、他業界のニーズに応用したりする姿勢が重要です。例えば、ある部品メーカーが培った精密製造技術を医療機器やロボット向けに展開する、物流企業がEVの使用済み電池の回収・再利用ネットワークサービスを構築するといった多角化の取り組みも考えられます。IT企業であれば、車載データを活用した保険・モビリティサービスを提案するなど、従来の枠にとらわれない発想が求められます。重要なのは、バリューチェーン全体として付加価値を高め合うエコシステムを築くことです。系列の壁を超えて各プレーヤーが連携し、新技術やサービス開発に取り組むことで、日本の自動車産業全体の競争力を底上げできるでしょう。
おわりに
タイにおけるトヨタの中国サプライヤー活用は、業界構造変革の象徴的出来事です。自動車産業は今、完成車メーカーから末端の部品・サービス会社に至るまで大競争時代に突入し、従来の延長線上では立ち行かなくなっています。とはいえ、日本勢には長年培った技術力と信用という強固な土台があります。変えるべきものは変え、守るべき価値は磨きながら守る——その両輪が試される局面です。東南アジア市場で築いた牙城を死守しつつ、新たな競争に勝ち抜くため、日本企業は時代の潮流を見極めて素早く戦略を転換する胆力と、国内外のパートナーと協調してイノベーションを取り込む柔軟性を発揮する必要があります。本レポートの考察が、そうした戦略検討の一助となれば幸いです。
次はこちら→「海外事業の壁を突破する M&A 戦略:販売・製造・人材の統合戦略と成功事例」
主要参考文献・出所:
- 日本経済新聞『トヨタがタイで中国部品調達 日系供給網に転機、低コストでEV・HV』(2025年8月2日)
- NHKニュース『トヨタの牙城 タイ市場が切り崩される?中国EVの攻勢』(2024年7月31日)