東南アジア(ASEAN)での M&A (買収・出資等)取引のエクセキューション段階では、法的・税務的な要素、コンプライアンス、現地アドバイザーの選定など、多岐にわたる要素を慎重に検討する必要があります。本稿では、日本企業の買い手にとって、エクセキューション(取引執行)面で重要となる実務上のポイントを解説します。
なお、ソーシング(案件組成)上のポイントについては前回の記事をご覧ください。
1.外資規制
ASEAN地域の各国には、外資に対する規制が異なるため、事前に十分な調査と対応が必要です。特に注意すべき点は以下の通りです。
1)株式所有に関する規制
ASEAN諸国では、外資による企業所有に制限が設けられている場合が多いです。例えば、タイやインドネシアでは、特定の業種に対して外国人の株式所有比率に上限を設けているほか、外国人による経営権の保持が制限されることもあります。これにより、買収対象企業の株式構造や所有権に対して十分な注意が必要です。
2)土地所有にかかる規制
一部のASEAN諸国では、外国企業が土地を所有する際に厳しい規制が設けられています。例えば、タイでは外国企業による土地所有に制限があり、土地の所有に関して特別な許可を取得する必要がある場合があります。土地所有権の規制を十分に理解し、事前に必要な手続きを踏むことが重要です。
3)産業別規制
金融、メディア、通信、エネルギーなどの特定産業においては、外資規制がさらに厳しくなることがあります。これらの産業での買収や合併を検討する場合、事前に規制機関からの承認を得る必要があり、規制の影響を適切に評価することが求められます。
2.会計・税務面
ASEAN諸国は、国ごとに異なる会計基準と税制を持つため、取引における会計・税務面の確認は非常に重要です。特に以下の点に留意する必要があります。
1)会計基準
ASEAN諸国は多くが国際財務報告基準(IFRS)を参照しつつ一定のローカライズを行った会計基準を採用しています。IFRSに基づく会計処理方法と日本のGAAPには様々な相違点があり、また各国独自の規定に加えて、とりわけ非上場企業においては簡易処理が許容されている点には注意が必要です。たとえば、資産評価や引当金の処理、収益認識の方法などが異なるため、各国の会計基準を踏まえた対象会社の評価が必要となります。
2)課税関係
M&Aにおける譲渡所得(売却益)に対する課税は国によって異なります。買い手特に、売却益がどのように課税されるのか、税率がどのように変動するかについてスキーム設計の段階でこれらを考慮することが必要です。
3.取引の法的枠組み
ASEAN地域におけるM&Aで主に利用される法的スキームは、株式譲渡と資産・事業譲渡です。
1)株式譲渡
株式譲渡は、企業の所有権を直接移転するため、簡便に実施できる場合が多いです。ただし、株式譲渡の場合、対象企業が抱える債務や契約義務も引き継がれるため、十分なデュー・ディリジェンス(DD)が必要です。また、株主名簿の更新や株式移転の手続きも慎重に行う必要があります。
2)資産・事業譲渡
資産・事業譲渡は、対象会社の株式の代わりに資産・事業を譲渡するスキームです。これにより、買収後の負債や契約義務を避けることができますが、譲渡対象の資産に関する契約書の見直しや許認可の移転手続きが複雑になる場合があります。また、事業譲渡の場合、従業員の取り扱いや労働契約の処理に関しても特別な注意が必要です。
3)合併
ASEAN諸国においては、法形式として合併は存在するものの、実際の取引で利用されることは稀であり、法的手続きや税務処理が煩雑であるため、ほとんどの取引では他のスキームが選択されます。
4.コンプライアンス
ASEAN地域におけるM&Aでは、現地特有のコンプライアンス問題に留意する必要があります。特に以下の点に注意が必要です。
1)競争法・独禁法
競争法や独占禁止法の観点から、買収対象企業の市場シェアや競争環境を調査し、規制当局への報告が必要かどうかを確認することも重要です。競争法違反のリスクを避けるために、規制当局から事前承認を得る場合もあるため、事前相談を行うことが無難です。
2)労務問題・環境問題
ASEANには現地特融の労務問題・環境問題のリスクがあります。特定の業種においては、一般的な財務・法務のDD(買収監査)に加えて、格別にこれらの論点に応じたDDを行うことが考えられます。たとえば、化学業界や製造業などでは、環境に関するDD(環境DD)を、また移民等、社会的立場が比較的弱い人員との接触が大きい事業においては、労務DDを行うことなどが考えられます。
これらのリスクは買収後に顕在化し、重大な法的問題や経済的損失を引き起こす可能性があるため、慎重な調査及び検討が必要です。
5.実務推進(専門家の選定)
ASEAN地域でのM&A取引を円滑に進めるためには、現地実務に精通した専門家の関与が欠かせません。特に以下の点を重視し、適切なチーム組成を行うことが必要です。
1)現地専門家の選定
ASEAN諸国では、法律、税務、会計などの分野において現地専門家の知見が重要です。現地の商慣習や法規制に精通した専門家を選定することで、取引がスムーズに進行します。また、予算に制限がある場合、過剰な専門家を起用することなく、必要なリソースを適切に選定することが求められます。現地の専門家を選定する際には、その経験と実績をもとに、取引の規模や複雑さに応じた最適なチームを構築することが重要です。
2)行政手続きへの対応
ASEAN地域では、行政手続きに対する行政側の対応が往々にして遅延することや、規定が曖昧で運用に依存しているケースが散見されます。これらは取引のスケジュールや成否に大きな影響を与える可能性があるため、現地の専門家と連携しつつ、適時・適切に行政機関と連携し、想定外の遅滞がないよう気を配ることが必要です。
まとめ
ASEAN地域でのM&A取引を成功させるためには、外資規制や税務面、法務、コンプライアンス、そして行政実務の各側面に関する深い理解と慎重な対応が求められます。特に、現地の実務に精通したアドバイザーの関与は不可欠であり、彼らの専門知識と介在価値が、取引の円滑な進行と成功に大きく貢献します。適切なチーム組成によるディール・マネジメントを行うことで、M&A取引を円滑に執行することが可能となります。
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